第43話《健康とは》

ここは山と海に挟まれた、とある田舎町。 
町の中心から続く県道をしばらく走り、トンネルを抜けた先の小さな住宅街の一角。
地域の人に”イヤシロチ”としてこよなく愛されている鍼灸院がある。
その名も『鍼Go!堂』 
ここで働いているのはたったの2人。
どこか抜けているが患者の信頼は厚いGo院長と、立派な鍼灸師を目指す弟子2年目のまめちびだ。
おや?今日もなにやら会話が聞こえてきましたよ?
早速聞き耳を立ててみましょう。

Go: ところでさ、健康ってなんだろうな。

まめ:ちょ!今更ですか⁉︎
でもこれまでの話を聞いてきた上で改めて考えると、単に病気や症状がないってだけでは計れない気がしますね。

Go: だよな、改めて考えると案外難しいんだよ。
アンドルーワイル氏がわかりやすく言ってる言葉を紹介しよう。
これまでの話と通じてくるから、今のまめちびならすんなり理解できると思うよ。

「健康とは単に病気がないということでは全くない。
健康とは人間を構成し取り巻くあらゆる要素、あらゆる力が、ダイナミックに、かつ調和的に平衡状態にあること。」

ただ彼はここに一つ大切な言葉が抜けている、と言っている。

「一時的に」

と言うことを。
健康というバランス作用は一時的なものなんだ。
変化に対応する基盤を再構築するために、バランスは必ず崩れるようにできている。
バランスを取るためにバランスを崩すんだ。
"変化"こそ生命の本質なんだよ。
相対的に健康、相対的に病気、と言う波を行ったり来たりしているだけで、完全な健康はあり得ないってこと。

まめ:アンビリーバボー、今の私なら先生の話がちゃんと腑に落ちます。
それに前回の話が絡み合って絶妙なハーモニーを生み出してます。

Go: そうか、これまでの話はまめちびにとって少しは糧となっているかい?

まめ:少しどころじゃないですよ。
病気のことを知るとか、治療に役立つとか、そんなレベルでなくて私の人生が変わるくらいの衝撃です。

Go: そりゃよかった。
そうなんだ、始めの方で言ったがおれが本当に言いたかったのは、病気の治し方や予防法ではなく、人生そのものの話なんだ。
大なり小なり誰一人例外なく、皆病気になる。
見方によってはお腹が空くことも、病気なんだよ。

まめ:え⁉︎マジで⁉︎空腹病⁉︎

Go: 言ってしまえばね。
それで何かを食べれば満たされ、癒される。
まあ、現代では食べて体にダメージを与えていることも多いかも知れないが…
先ほど言ったように、バランスを取るためにバランスを崩す。
そうしてホメオスタシスを保つために体は大いなるバオリズムを形成しているんだ。

そもそもさ、人は生まれてしまった限り死ぬんだよ。
死に向かって生きていると言う言い方もできるし。
だから完全な健康なんてあり得ない。
それに年を重ねて死に近づいていくと、体はその準備を始める。
死ぬためにも病気を利用する。
病気を恐れて闘う人生も別にいいが、まめちびやこれを読んでいる人は是非病気と闘うことをやめることをおすすめする。

まめ:それは治療をしないでいいってことですか?

Go: ではない。自分ができる限りの最善の治療をすればいい。
人生の中で病気をどう捉え、どう向き合うか、と言うのは自分とどう向き合うか、と言う態度と同じこと。
戦うのではなく、病気と対話してみるのだ。

まめ:病気と対話?

Go: そう。
この痛みは何を伝えようとしてくれているのか?

これから自分をどう変化させていけばいいのか?
例えば

「疲れてはいないか?」
「働き過ぎてはいないか?」
「運動はしているか?」
「食生活は乱れてはいないか?」
「我慢してはいないか?」
「人のせいにしてないか?」

「人間関係のストレスはないか?」
「人生に満足しているか?」
「行きたい道を歩んでいるか?」
「ワクワクしているか?」
闘うのではなく対話をするといい。

なんにせよ人は病気によって、強制的になんらかの変化を強いられる。
それによってときには人生が180度変わるくらい、無茶苦茶大きなことを学ぶんだ。
我々に計り知れない大きな力が働いている気がしてならない。
そんな気がしないか?

まめ:わかります。
1日2回犬のフンを踏んだとき、そう思いました。

Go: …

第44話

2件のコメント

  1. 深いですね〜〜

    病気のとらえかたっていうも大事ですよねー
    何かしらのサインであって、幸せの方向を教えてくれているものなんだなーって、今となっては思えまする。
    気づきにいたる経過も、ひっくるめて、素晴らしい宝物であり、ギフトなんだな〜って、おもえるようになるんですねえ。

    先日母が白内障で手術をして、以前より物がはっきり見えるようになった。このことって、いいこと、のような感じですよね。
    反面、なにかと見えすぎちゃって、お掃除もしないではいられなくなったとか…^^;今までは知らずに見逃せていたんですけどね。
    それとね、はっきり見えすぎてしまうんですって、自分のシワも!^^
    なんだか、老いっていうものって、いろいろ見えづらくなったり、聞こえづらくなったりすることって、実はとても優しいことなんじゃないかと思いましたわ^^

    1. さすがetsuさん、言葉に深い洞察力を感じます。
      おっしゃる通りだと思います。

      お母さん目がはっきり見えるようになってよかったですね〜。
      自分のシワも笑
      なるほど、「優しいこと」という表現も素晴らしいですね。
      全ての症状は自分への優しさなのかもしれませんね。うーむ、深いね〜。

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